最後の言葉

サイトをやめるときってどんな時なんでしょう。
ものすごく大雑把に二つに分けてしまうと、自分の意思でやめる場合と、やむをえない理由でやめるときがあると思います。

自分の意思でやめる場合は…
…まぁ、その理由には色々とあるのでしょうが。
やめた後には、さらに二つ、「サイトを残す」「サイトを消す」という選択肢が残っていると思います。

私のサイト閉鎖に関する考え方は、こちらの方々の考え方に近いかな、と思います。

「閉鎖」http://bx.sakura.ne.jp/%7Ekyou/diary/archives/200304/closing.shtml

別にあんたんとこなんか更新しなくてもいいんですよ。休止とか宣言する必要すらない。過去ログ何回も読みますよ。それだけで楽しいんですよこっちにしたら。あんたがどうでもいいと思ってるログを楽しみに読んでる人間がたくさんいるんですよ。ファイル置いとけヴォケが。そりゃ閉鎖すんのもファイル消すのも本人の勝手ですよ。でもね、それに対してぎゃんぎゃん文句言わしてもらうのもこっちの勝手ですわ。(冷麺

「サイトの死」http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/www/concept/close.html

サイト管理者個人からサイトの文書は本質的に獨立して存在してゐる。管理者の精神状態の爲にサイトの文書を犠牲にするのは、文書が可哀想だ。(言葉 言葉 言葉

あと、参考までに。
「ホームページをやめるとき」http://abon.fc2web.com/info/hp-stop/
サイトの閉鎖と事後処理の方法についてかかれたサイト、なぜ閉鎖するのか?から、どのように事後の処理を行うのかなどが取り上げられています。

どんなものであれ、完成してウェブ上に公表した時点で、それ自体が価値を持つと考えています。自分のとっての価値ではなく、それを見た人にとっての価値です。サイトを消してしまうことでこの価値をなくしてしまうことは、本当によいことなのでしょうか。

そして、やむをえない理由でやめるとき。
この時は、「残す」も「消す」も、自分では選ぶことができません。残るのはただ一つ、「放置」という道だけです。

http://ariel.s8.xrea.com/news/news_index.htm#03駄文にゅうす:2003/11/3)で取り上げられていた【ネット関連/Web運営】ニュースは、「やむをえない理由」のひとつである「管理者の死」によって訪れる「サイトの死」に関連した記事へのリンクでした。

遺言http://www.maromaro.com/will.html

<遺言要旨>
生命体としての僕の生命は終わりました。
遺言としてこの「まろまろ読書日記(http://www.maromaro.com)」を公開し続けることを希望します。(略)
<最後に>
では、さようなら。
無機質な墓碑として静かに眠るよりも、有機的な知識体として生き続けることを望みます。
2003年7月7日 らぶナベ(まろまろ読書日記)
サイト内に残された遺言文。管理者が突然なくなったあと、はたしてそのサイトがどうなっていくのでしょうか。単なる「サイトの死」ではなく、「サイトを作っていた人間の死」となると、管理・維持・著作権・その他諸々、問題も多く出てくるのでしょう。このように遺志を明らかにしておくことで避けられる問題がいくつかあるかもしれません。少なくとも、自分は今後もウェブの片隅にでもいいから生き続けていたいと考えていたのに、あまり面識の無い親族に「こんな恥ずかしいイラストを残しておくのは恥ずかしかろう」とか判断されてあっちゅー間にサーバーからすべて消されちゃったりする、という様な事はないでしょうね。
ちなみに私自身は、自分がもしも突然死んでサイトを更新することができなくなったとしても、今までの軌跡はすべて残しておいて欲しいと考えます。今私が作っているこのサイトは、自分の中にある自己顕示欲成分がゴリゴリと固まってできているようなものです。今までに公表された文章や絵は、その時々の私の中の色々なものの固まりなのです。一度固まった以上、その固まりがいつ人の目に触れるかというタイミングはまったく関係が無いので、描いた本人が死んだ後でも変わらずゴリゴリとアピールしつづけていってほしいのです。

「管理人のいなくなったホームページ」http://madcom.gooside.com/hp39.htm

わたしたちは文字でつながりあっている関係です。
文字で笑い、考え、怒り、泣き、そんな関係です。(略)
たかがネット、されどネット。
彼女はホームページに、いろんなおもいを文字にしてつづり、
その重みをわたしたちに残してこの世を去りました。
彼女の残していったたくさんの文字は、ずっとずっとネット上やみんなの心に残されることでしょう。(mad com(仮))
多分ここでとりあげられているサイトはこれでしょうね。
the front line(ミラーサイト)
23歳、急性骨髄性白血病でなくなった看護婦さとみさんの闘病記。初めて読んだ時は、症状の残酷さと文章の明るさのギャップと、死に対面しながらもこれほど明るく「生きる」事をしっかりと受け止める人がいるということにとても驚きました。現在はサイトは閉鎖補完サイト検証サイトなどが作られています。

簡単にサイトをできるツールなども増えてきて、自分のサイトを持つ人が多くなってきた分、安易な閉鎖をされる方も多いです。自分の足跡が知らない間に他の人に影響を与えているかもしれないと一度でも感じることがあれば、単純に「更新できないから」というだけの理由で全てをサーバーから削除してしまうことも減るのかな、減るといいなぁ、と思いました。